まごころ 真実 雄大さ 本当に大切なもの漢方薬と生き方の自然の理薬局  

漢方薬の相談から生き方の相談へ

何時でも、何処でも、気付こうと気付くまいと、知ろうと知るまいと、好むと好まざるとにかかわらず、誰にでもあてはまる本当の生き方であります。


 


生きる生き方について思うこと 「物質的肉体的な症状」

物質的肉体的な症状は、一般的には生活習慣病と言われるもので、人それぞれに物理的な生活状態から生じたもので、体質的に体自体が冷えてしまいやすいものか、或いは熱がこもりやすい体質かによって、病状が違います。体自体が冷えやすい方は、口から食べるものは全て加熱したもので、常に温かいものを食すべきであります。まず以って、冷える体質の方は、脾胃(消化器系統)が、一般的に弱いです。心臓は体の上の方にあり、陽の臓器ですから、熱をもちやすいのであります。腎臓は体の下の方にあり、陰の臓器ですから冷えやすいのであります。しかし、胃腸が弱い場合は、殆どといって体は冷えやすくなります。こういうことから、出来うる限りあったかいものを食べて温める必要があります。このような体質は、冷え性だったり、低血圧であったり貧血があったりして、体に熱量がありません。いわゆる風船に例えると空気の量が少ないのであります。そこでエネルギーを体内に増やさなくてはなりません。こういう時に冷たいものを食しますと胃が冷えてしまいます。胃が冷えると胃の消化活動が落ちてしまいます。冷えというのは、陰陽でいうところの陰ですから、物事を外へということでなく、内へ縮める働きがあります。いわゆる上のほうへ伸びるのでなく下の方へ沈める作用があります。つまり冷やすことで熱量が少なくなるために消化力が落ちてしまいます。更に疲れたりして体全体の熱量が減ってしまいますと、今度は冷えやすくなったり、水分が停滞しやすくなります。これから水毒となり、水の不調和がおきてきて、神経痛、リウマチ、腰痛、下痢、頻尿などの症状がおきてまいります。脾胃が弱い人は、皮膚の戸締りが良くないです。だから、わりに汗腺が開けっ放しになり、汗をかきやすいということになります。そこは毛穴が開いてしまっていますので、風とか冷えが入り込みやすくなってしまいます。このような漢方医学的な病理によって、其の様子が説明されるのであります。
だから五行相剋説、五行色体表から見ると、金は肺であり、皮膚(皮毛)であり、肺の出口の鼻であります。
この体の元が脾胃にあると言うことになります。ミネラルでいいますとK(カリウム)は冷やしますし、Na(ナトリウム)は温めます。ですからK(カリウム)は心臓には必要でありますが、腎臓には冷えるから注意が必要となります。
今度は逆に体に熱のこもる人は、充血した状態になります。このような方は、体に熱をもちやすく、いわゆるドロドロした血液になりやすく、更に血栓ができやすいのであります。漢方医学では、この熱を取りバランスを元の正常な状態に戻す働きのある生薬を使って治そうとしているのであります。その熱をもった血液や古くなって停滞している血液のことを漢方では瘀血(おけつ)と言っております。
漢方医学では、気の不足、気のめぐりの良くないのを気滞といい、水のめぐりの良くないのを水滞といい、血のめぐりの良くないのを血滞といっております。このような気・血・水のバランスを漢方薬を使って立て直そうとしているのであります。
漢方薬の治療は、漢方薬を使って、体の陰陽・虚実・寒熱・表裏を見極めて治療を行っていく方術であります。


生きる生き方について思うこと 「精神的な症状」

昨今、漢方薬だけを使用して何とか役にたとうとしておりましたが、生活習慣病として生き方を考えなくてはならないことに出くわしました。病気になる原因として、物理的に生活状態を見直すことで良くなる為のお手伝いとして、漢方薬を服用して頂く場合と、精神的な病状としての悩みを抱えている場合があります。その背後の心の問題を解決しなければなりません。凡そ悩みというのは自分のことだけを考えますと苦しくなってきます。自分が自分の考えで自分の心の中に入ってしまって、他のことがわからなくなってしまっています。いわゆる自己中心になっています。こうなって来るとノイローゼになってしまいます。その結果自分の存在を失います。しかし、五行相剋説の木火土金水のところから肝臓・胆嚢・心臓・小腸・脾臓・胃・肺臓・大腸・腎臓・膀胱の内臓はみんな協力して助け合って一個の人間を支えあっているという現実を見なければなりません。要するに自分の置かれた立場をしっかり認識して、互いに助け合うことが大事であります。我が郷土の西郷南洲翁も『西郷南洲翁遺訓』の中で「天を相手にして、己を尽くし人を咎めず我が誠の足らざるを尋ぬべし」と謂われている如く、他の為に役に立つというのが大事な考え方になります。更に深く考えてみますと、他のことも結局我が事であるということになります。つまり、一体全体であるということになります。諺にもありますように「天は自ら助くるものを助く」であります。
要するに、天は自ら他を助けようとするものを助けるのであって、助けてもらいたいものは助からないことになります。

こういうふうに考えていきますと、どうしても親の考え方をしなければ、助からないことになっているのであります。子供の考え方の助けてもらいたいというのは、助からないのであります。助かっていない境遇の人は、助けてもらいたいと言います。しかし、助けてもらいたいと1回言った人と、何回も助けてもらいたいと言った人では、何回も助けてもらいたいと言った人の方が、より助かっていないことになるのであります。だから、問題があっても、助ける側に立って助けることをしなければ、助からないことになります。要するに、どんな時でも、助け合わなければならないのです。判りやすくいうと、借金をして、助けてくれと言って、お金を借りてどんどん借金をしていく生き方をして行くと、借金した分だけ、ますます助からなくなっていきます。此れに反して、借金があるのに、周りの人たちや、世の中の役に立つことを、少しずつでも行うことが、運命財産であります運命の貯金が増えて、結果的には、借金を返済できる運命・環境が与えられて、助かる運命になっていくことになっております。つまり、相手にプラスをして、助けた分だけ助かることになります。しかし、助けてもらいたいと思い、してもらった分だけ、借金が出来て助からないことになるわけです。

自然界には、そのような役に立つ生き方をすると、必ず目には見えない力と働きが起きてまいります。これが、いわゆる蒔いた種どおりであるということになるわけであります。
     
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実行実現について

こういうことが判ってきますと、次にどうしたらその様に生きていけるかということになります。普通、泳ぐことが上手でなかったり、自動車の運転が出来ない時は、それが出来るように努力しようと致します。生きることも、全く同じことで、役に立つ生き方を努力して身に付けることが大事であります。事実、実行しないとプラスの結果は出ません。例えば、畑に種を蒔くことを知ってはいても、種を蒔かなければ、生えてきません。実際の行いがなければ、その様な結果は出ません。自分の欲求を満たす為の努力はしても、他の為に役に立つ気持ちの努力は致しません。つまり、生きる事に、その様な努力をしようとは致しません。こういうことが大変重要な問題であります。このことが判って実際に実行実現しなければなりません。
     
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夫婦の問題でも、結婚前は相手の為に映画に連れて行ってあげようとか、おいしいものを食べさせてあげようとか、似合う洋服を買ってあげようとか、相手にプラスをしようと考えていますが、結婚後は、相手にああしてくれ、こうしてくれと要求ばかりして、してくれないとお互いに不機嫌になり、こういう人だとは思わなかっただとか、要するに、してあげようという親心はなく、してもらいたいという子心になってしまっています。何も夫婦だけに限ったことではなく、親子、兄弟、友人、知人、会社の同僚、会社の上司との関係もみな同じであります。自分が良いと思って結婚した相手なのに、こういうことがわからずに、相手の為に生きるということも気が付かず、しかも親の考え方に成長していくことが本質であるのに、うまくいかないことを、周りのせいにしたり、人のせいにしたりして自分のせいであるという主体性が見られません。与え合う関係であるはずなのに、奪い合う関係では、絶対にうまくいきません。此れは誰と結婚しても、どこで暮らそうとも、より良く生きてはいけないのであります。ましてや、わけのわからない神仏に願ったとしても、自己中心の我(が)の願いが、思うようになるはずはありません。どうしても西郷翁の謂われた、他の為の生き方をしなければならないのであります。だから「人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」と謂われているのであります。どうしても、助け合う親の考え方をして、成長して行かなければならないのであります。
相手にプラスの種を蒔かずして、どうしてプラスの収穫をすることが出来るのでしょうか。与えたものがマイナスであったならば、マイナスしか収穫できないのは、自明の理であります。
こういう生き方がわからずに、自分中心の生き方をして、内臓を傷め、心を病んでしまっています。

     
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漢方薬は東洋医学ですから、背後の東洋思想に踏み込まざる負えません。五行相剋説から木火土金水の考えでも甲乙・丙丁・戊己・庚辛・壬癸の十干にしても、その関係の中で、易をやっている人たちは、例えば火のタイプと水のタイプは相性が悪いと表現しますが、それはネガティブな考え方で、対立にもっていこうとしております。火と水は確かに違うのですが、助け合ってお風呂が出来るのではないでしょうか。違っていることは、素晴らしいことなのに、性格の不一致とは、どういうことでしょうか?自分に合わないとは、合わそうとする親心はないのでしょうか。ここに、大きな問題があるように思われます。
漢方処方でも、例えば葛根湯と桂枝加葛根湯との薬味の違いは、麻黄という薬味が入っているか、入っていないかの違いです。この違いがあるからこそ素晴らしいのではないでしょうか。しかし、違うからいやだと思う考えをする人が多いです。其のことが、いかにも自分を正当化する考えのようですが、極端にいうと我が間々ではないでしょうか。違うことは、プラスの考え方でマイナスの考え方ではありません。違うから、その面白さがあるのだと思います。違うことに責任を転嫁してはいけないと思います。
とにかく、全てマイナスの思考をしています。「虫が好かん」とか「悲願達成」とか「因果応報」とか全ての表現がおかしいです。「虫が好き」とか「喜願達成」とか「善因善果」の様なプラスの表現がありません。更に、自分の行いがマイナスの行いをして、マイナスの結果を得たことを、「自業自得」という表現をしていますが、此れは本来からいいますと、「自業自損」ではないのでしょうか?このような言葉が辞書には、ありません。要するに、意識が、心が、観念がマイナスのことになれてしまっています。生きる生き方の素晴らしさをプラスに感じないで生きているのではないでしょうか。生きていくのは、全て、どんなことにもやって良かったということを味わいたい為にやっているのではないでしょうか。
人生は、ときとして旅行に例えられます。本当に事実そのように思います。人生旅行は楽しく通らなければなりません。それに一日一日其の日の生きる目的は、皆もっています。しかるに、一生の目的は誰も教えてくれません。生きるその意味も、目的もわからずに生きて果たして何か価値があるでしょうか。物事の全ては、意味わかって生きるべきではないでしょうか。意味も目的もなく行動していることがあるでしょうか?
こういうことから更にこの悩みをどのように解決していくかのお手伝いをさせて頂いております。

     
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要するに、このような生活を通して他の為に役に立つ生き方をしなければなりません。生命には全て、人種も、民族も、国家も、宗教宗派も、性別も、年齢も、動物も、植物も、その差は一切ありません。もし差をつけたりして、この様な考え方に反する生き方をすれば、文字どおり自然の理に反することになります。生命の使い方には、対立はありません。助け合って通るべきであります。このことを通じて精神的なお手伝いを致しております。
     
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漢方薬の相談から生き方の相談へ

全ての症状の背景にあるものの本質は生き方に起因します。
素晴らしい生き方と真実の生き方とは何かを求めて考えます。

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